HISTORY
沿革
1889年 明治22年 | 吉田吉次郎、群馬県高崎市九蔵町103にて紙加工品、及び活版印刷の製造加工販売を始める |
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1932年 昭和7年 | 二代目吉田吉次郎の時代に、現在地(高崎市末広町324番地)に新工場を建設、移転 官公庁印刷物、諸出版物、紙加工品等を中心に業務拡大 |
1961年 昭和36年 | 吉田吉太郎社長就任 |
1967年 昭和42年 | 枚葉オフセット印刷機をはじめ平版の製版設備等を設置 |
1977年 昭和52年 | オフセット輪転印刷開始。新工場建設 |
1983年 昭和58年 | 本社社屋を新築 |
1987年 昭和62年 | 本社工場2階を新築 |
1989年 平成元年 | 創業100年を迎える |
1991年 平成3年 | MAC導入 |
2000年 平成12年 | CTP導入 |
2001年 平成13年 | 高崎市末広町139番地1に第二工場を建設、同時にオフセット輪転機2台を設置 及び映像デジタルスタジオ、DTPデジタル処理設備増設 |
2002年 平成14年 | ISO9001認証取得 |
2005年 平成17年 | 吉田吉太郎会長就任 吉田武郎社長就任 |
2007年 平成19年 | プライバシーマーク取得 |
2013年 平成25年 | 東京オフィスを新橋から池袋に移転 |
2015年 平成27年 | 東京オフィスを池袋から渋谷に移転 |
明治22年、初代吉田吉次郎が高崎市において創業。手作業による紙加工製品の製造を始めとした活版印刷を興した。
設備に関しても当時としては最先端の機械を導入し、活版印刷機をはじめ、製本設備、手動活字鋳込等、当時の東京築地活版との取引やドイツ製断裁機は横浜のレイボルト商館との取引の記録が残されている。
昭和期、二代目吉田吉次郎の時代には戦前の大不況の最中、昭和7年に現在地に約2,000坪の土地を購入し、工場、倉庫約400坪の新工場を建設。総額経費は、当時で3万円と言われている。その後、活版印刷を中心に官公庁印刷物、諸出版物、紙加工品等に業務は繁忙を極めていく。
社員数も120余名を抱え、戦前においては企業統合にも生き残り、地域の需要に対応して活況を呈していた。
昭和36年、吉田吉太郎が社長に就任し、活版印刷から平版印刷へと転換を図る。同時に商業美術印刷の発達に対応しデザイン、企画力を備えた印刷会社を目指した。昭和47年頃から商業印刷物の需要増を見込み、広告チラシ印刷の専業化へと経営戦略を捉え、今日の基盤作りを行った。昭和52年にはオフセット輪転印刷機を導入し、高速輪転印刷へと突入していった。
昭和60年代にはデジタル化時代を予測し、デザイン、製版等のソフト面にマッキントッシュを導入。また、DTPシステムもいち早く取り入れ、一連生産システムを確立しスピーディかつ高品質な製品提供を実現している。同時に営業エリアも県内、北関東をはじめ新潟、中京地域へと拡大。流通広告印刷の精鋭として積極的な提案による顧客満足度100%の企業を目指している。
さらに、平成14年には顧客満足度の更なる向上、及び製品の高品質化、信頼性、安全性の向上を目的にISO9001の認証取得を実現した。
平成17年三代目社長吉田吉太郎の会長就任に伴い、取締役専務吉田武郎が四代目新社長に就任。
創業者:吉田吉次郎
二代目:吉田吉次郎
活版印刷工場